6/17②  余談

私には、他者が自分より苦しんでいることが嫌だという気持ちがあって、2,3年前はこの気持ちに大変苦しんでいたように思います。他人の病みツイートを見ては、やっかんだり、落ち込んだりしてきました。と、いうのも、私は➀病むことによって人から注目されたい②病む=芸術・才能という考えがありました。つまりメンヘラへ超憧れており、一時期はうつ病になることが正しいことなんだと本気に思っていました。でも、自分は全然メンヘラじゃない…という自覚があったので、病んでる人を見ては、私より注目されるのは許さない、とか、病めてない自分には才能ないんだと思ったりしました。

大学2年の後半:病みツイートを見て怒りが煮えくり返りだす

⇒個人の中でどう思おうが勝手なので、こういうムカつく人は全部私の視界から無くした。これによって、私の中で私が一番ということは保たれる。その後も私の世界が揺らぎそうになるものが入ってきたら、思考から削除するように…。

 

はい、途中からちゃんと書くのやめました。ここで言いたいことは、他者と病んでる比較をしていた私の変遷です。昔は自己肯定否定派で、他者と比較して自分が劣っている時はそのまま受け入れるべきだ、現実が大切という考え方で、自分の欲求とかは無視されていたけど、今は個人内でどう思おうがかまわんという姿勢で、もはやあれだけ大切にしてきた現実も捨てつつあり、その結果他者に心揺るがされないようになったと…。

うーん。どうなんだろうね。これって。

 

メンヘラ偏愛遍歴についても語りたい…。

 

 

話は変わるけど、ラジオ父ちゃんで話されていたSMとかそれ以外の話について。

断片的にしか覚えてないけど、ウマ・イヌ・ブタという種類があって、ガクはイヌ、つまり主従関係に興奮するタイプらしい。

自分はなんだろうな、とラジオを聞きながら考えていて、その時はSかな、なんて思っていた。理由としては、仲良い友達(女性)と性行為するところを想像したとき、昔は絶対自分がされる側が良いと思ってたし、する側なんて想像できなかったけど、今は絶対自分がする側が良いと思うから。される側なんて恥ずかしすぎるでしょ。

でも、今ふと思い出して。ある人に人格否定される妄想して興奮できるなって。詳しく書けないけど、うーん。たとえば、子どもへのボランティア活動してる人。多分人柄によるんだけど、可哀想な子への奉仕活動なんて私の嫉妬がメラらないはずなくて、でもそんな気持ち隠すよね。でも、それをその人にぶちまける妄想するの。それでその人に人格否定されるの。それが本当に興奮できるというか。

うーん、でも実際にするところ想像したけど、実際にするなら私はこんな自分を受け入れてほしいというマインドセットで話すと思うから、それを否定されたら多分超ショック。

えー、関係ないか。そういう人にブチ切れされるのがたまんないのかなぁ。

わかんないやー。

 

田切さんのメイク動画、まじで全部真似できないし、学ぶのも大変だから、まずリップだけを学ぶことにした。それなら楽。